手延べめんの歴史は、奈良時代に遣唐使によって唐(中国)から唐菓子が伝来しその中のひとつに索餅(さくへい)があり、これが日本の手延べめんの元祖であると言われています。
当時は宮廷料理として、天皇や貴族など身分の高い人が、客をもてなしたり、年中行事などの特別な日の貴重なごちそうでした。
鎌倉・室町時代に入り、禅宗の僧侶によって、現在とほとんど変わらない手延べめんを製造する技術が伝えられました。
朝夕の食事の間に食べる点心と呼ばれた間食に手延べそうめんが用いられ、これが全国に普及しました。
しかし、まだ身分の高い人たちだけが食していました。
朝夕の食事の間に食べる点心と呼ばれた間食に手延べそうめんが用いられ、これが全国に普及しました。
しかし、まだ身分の高い人たちだけが食していました。
やがて手延べめん産地が西日本から全国各地に形成され、生産量が増えたため、やっと庶民の口にも入るようになりました。
江戸時代には「7月7日にそうめんを食べると病気にならない。」と記述された書物も見つかっています。
主流は長そうめんで、今のように短く切ってはいなかったようです。
江戸時代には「7月7日にそうめんを食べると病気にならない。」と記述された書物も見つかっています。
主流は長そうめんで、今のように短く切ってはいなかったようです。